好きなものつめあわせ

音楽、映画、漫画などの感想(駄文)を書き散らかします。

ホームシック衛星2024(2/11 Kアリーナ横浜)感想 - そこにいると分かるように送ってくれて

BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024の初日、
 2/11(日)Kアリーナ横浜で行われたライブの感想です。

※あくまで一個人の意見です(解釈、考察、妄想も多分に含みます)

 

※一部、BOCの演奏技術に関してネガティブな感想が含まれます。
 ご覧になりたくない方は、このページは閉じて回れ右をしてくださいね!

 

---- ここから盛大にライブ内容のネタバレしています ----

 

 

 

セットリスト

01. 星の鳥

02. メーデー

03. 才悩人応援歌

04. ダイヤモンド

05. ハルジオン

06. ハンマーソングと痛みの塔

07. プラネタリウム

08. 花の名

09. arrows

10. 東京賛歌

11. 真っ赤な空を見ただろうか

12. かさぶたぶたぶ

13. アリア

14. 天体観測

15. 銀河鉄道

16. supernova

17. 星の鳥 reprise

18. カルマ

19. voyager+flyby

<ENCORE>

20. くだらない唄

21. BUMP OF CHICKENのテーマ

 

感想

結論を先に書くのがこのブログの通常フォーマットなのですが、今回はかなりの興奮状態できれいにまとめられそうもありません。悪文、乱文、長文ご容赦ください。

 

BOCのライブに行くとなぜかいつも涙が出てしまうのですが、今回は終始泣きっぱなしでした。オープニングで映像が流れ、王様と友人達が作ったBOCエンブレムに星の鳥が飛び込んで行く。その時点で、既に目の前は涙でくもってましたよ。王様よかったね、星の鳥は忘れずに来てくれたよ。

 

メーデー」で、藤原基央氏がギターを揺らしながら「君にまた会いたくてここまで来たんだぜ。さあ、力を貸してくれ」と言う。藤原、泣かせに来とんのか。

 

そしてラストのvoyager+flyby。これが凄まじかった。藤原氏のギターでvoyagerが静かに始まり、原曲のまま進んで行きます。そしてflybyに入る前に間奏をはさむのですが、「はさむ」なんて言葉では片づけられない存在感に圧倒されました。voyagerが始まった途端に興奮状態になってしまい間奏の詳細は頭から吹っ飛んだのですが、転調しまくり・各楽器が荒ぶりまくりで。

 

そしてflybyの歌詞変え。ただでさえライブ中は涙が止まらない状態でしたが、この新しい歌詞で涙腺が完全崩壊しました。おそらく間違っている部分もありますが、変更された歌詞は概ねこんな感じだったような気がします(青字部分が変更箇所)

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ワタシハ ドンナニ離レテモ イツダッテ僕ノ 周回軌道上
アナタハ ドンナニ離レテモ イツダッテ君ノ 周回軌道上

 

応答願ウ
涙と雲の向こう 虹の隙間に目を凝らした*1
flyby きっとまた巡り合えると心の奥が信じてた
バイバイ 忘レテモ構ワナイ 忘レナイカ
応答願ウ ズット 応答願ウ
ここにいることが分かるように メロディーヲ送ル

 

○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
アナタハ ドンナニ離レテモ 君ノ心ノ 周回軌道上

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藤原氏の「ここにいることが分かるように」が私の耳に届いた瞬間、心臓をわしづかみにされたような、喉の奥が詰まったような感覚に体をつかまれて感情はぐちゃぐちゃ、ついでに涙で顔もぐちゃぐちゃになりました。

 

私はずいぶん長いことBOCを聴いていますが、一時期彼らの活動の方向性がそれまでとは大きく変わったように思えて、「?」と感じた時期がありました。色々な大人の事情なのかそれに対する藤原氏の変化なのか、おそらく両方なのでしょうねと思いつつ、違和感は消えませんでした。

 

でも、藤原氏は多分、「ここにいることが分かるように」曲を送り出してくれていた。彼の言葉とメロディーができるだけ遠くまで届くよう、なるべく見つけやすく在るように唄ってくれていた。ずっと、ずっと。私が「?」と首をかしげて距離を置いた時も。そして今も。いつかまた、「応答願ウ」にこたえてくれる時が来ると願いと祈りを込めながら。

 

他人から見れば的外れな感想でも構わない。私の耳には、この日のflybyはそういう意味を持って届いたから。

 

そして藤原氏のこの唄い手としての在りようが、どうしようもなく悲しくて切ないと言うか、胸に迫るものがあって、号泣してしまった。

 

ありがとう。「ここにいることが分かるように」メロディーを送ってくれたおかげで、そこにいるって見つけることができた。

 

私のためでないことなんてわかってる。それでも、私の耳にも聴こえるよう唄ってくれたから、見つけやすい場所で光り続けていてくれたから、またあなたを見つけて巡り合うことができたよ。ありがとう。

 

これはきっと届かないだろうし、届いても伝わらない類のものだろうけれど。きっとBOCが藤原氏が送ってくれたメロディーも、全てを見つけ切れていないだろうけれど。それでも、ありがとう。

 

その他、細かい感想は以下の通りです。

  • 藤原氏の歌声は本当に素晴らしかったです。「少し苦しそうかな?」と感じる瞬間はあっても、そんなもんすぐにかき消される程度のノイズでしかありません。おそらく全曲、キーは原曲のままだったかと(半音下げた曲は無し)

  • Kアリーナ横浜、とにかく音響が良かったです。藤原氏の声も、各楽器の音も本当にクリアーに聴こえました。その反面、ミスもわかりやすかったんですが…。特に藤原氏ではないギターの方が…。どうなんでしょう…個人的には…ちょっとつらいと感じるレベルのミスがけっこうあり…。何度かライブの没入感が消失→現実に引き戻されましたね…。
    特に連続した単音を弾く際に、早弾きでもないのにどれかの音が突然ヘタれると言うか気が抜けた音になると言うか…前後の音と全く違うへにょ〜んとした音色になってしまうことが多く…。同様にアルペジオでも、音の粒が(良くない意味で)ものすごく不均等になる瞬間が割とあったような気がします…。

  • MCはチャマがホテルのキーカードを失くした(でも後で見つかった)話など。全体的にMCは短かく、ライブ最後の藤原氏の話も「だいぶ汗かいて体がしっとりしてるんじゃない?インフルとか流行ってるから、あったかくして帰ってね」くらいで終わり。会場の時間が押していたんでしょうかね?

  • voyager+flybyは、ツアー終了後に音源化してくれますよね?間奏もカットしませんよね!?

※ブログ内の画像は、すべて公式HPからお借りしました。

*1:「虹の」が聞き取れずやや曖昧です。他の単語かもしれません。

Yet To Come (The Most Beautiful Moment)感想① - その物語には乗れないので、次に期待します

BTS (방탄소년단) 'Yet To Come (The Most Beautiful Moment)' Official MV - YouTube

 

※あくまで一個人の感想です(解釈、考察、妄想も多分に含みます)

※2022年の찐 방탄회식(真 防弾会食)を観る前に書いた感想です。

※"Yet To Come (The Most Beautiful Moment)"について、ネガティブな感想が書かれています。ご覧になりたくない方は、このページは閉じて回れ右してくださいね!

 

 

 

まずは曲だけ聴きました。

そして、楽曲として体系的な感想を書くほどのポイントがあまり見当たらなかったので(個人的な意見ですよ)、MVを観てみました。この曲は、MVの物語と重ねることで真価を発揮するのかな?と期待しまして。

 

なので、ここからは曲とMVの感想がごちゃ混ぜになります。総じて「うーん」と言う印象なんですけども…。

 

まずは結論から。

1:曲のメッセージが非常に内向き(特定の層向け)なので、その層に該当しない私には響かない。

2:これまでのBTSの活動を思い出すに、歌詞と合っていない気がする。ゆえに曲自体に説得力を感じない。

 

では1から行きましょう。

何でしょうね…花様年華という戦略およびコンセプトを清算したいのであろうことは十分伝わって来ました。

MVで「これでもか」と念を押すように、花様年華期をオマージュした画面の構図・セット・衣装・小道具・メンバーの演技を並べ立ててますからね。かつメンバー自身が、自己に重ねられた花様年華からの卒業を歌ってますもんね。

 

花様年華シリーズを通して、BTSの人気は加速度的に上昇して行った。その過程を経て「最高」と呼ばれ「なじめない修飾語」を得た。自分達が求めるものは「世界の期待」でも「最高と言う基準のためのstep」でも「冠、トロフィー」でもなく、「夢と希望を抱いて前に進む」こと。今、その原点に戻る(bank to one)と。

 

なるほど、非常に内向きなメッセージだなと感じました。花様年華を通じたBTSのサクセスストーリーや、トップアイドルの地位を得た後もそれに縛られ続けてきた歴史、それに付随してチームBTSに(メンバー含め)葛藤や戸惑いがあったであろうこと。これらを知っている&かつ「その物語におけるBTS」を好きでないと、響かない歌詞のように思えてなりません。

 

ゆえに、その「好き」を持たない聴き手には届きづらい。「未来に進むために、今手にしているものを捨てる」と言う普遍的なテーマでありながら、普遍的に聴かれるタフさを持ってない。その理由は、曲の作り手が聴き手を先述の「好き」を持つ層に徹底してターゲティングしているゆえでしょう。

 

私とあなた」の間でだけ通じればよく、その関係性の外側の「誰か」には届かなくて構わない曲なんでしょうね。それは悪いことではなくて、「あなた」から好かれることがビジネスの根幹にあるアイドルとして、むしろ正しいとすら感じます(上顧客である「あなた」をとても大切にしているわけですから)

 

が、私の琴線には触れませんでした。花様年華期&その最中/後のアレコレは知っていますが…私は「その物語におけるBTS」を強く好きなわけではないし、特段思い入れもありません。ゆえに花様年華からの決別を歌われても、それ以上でも以下でもなく、「そうですか」で終了です。

 

余談ですが、MVもあまりにも手がかかっていないような気がするんですが…。花様年華期を徹底的にオマージュしてはいますけど、それに大して意味が感じられません(オマージュ自体が目的であることを除いて)。

過去と現在で、類似の/多少変化を加えた構図・セット・衣装・小道具・演技を重ねていても、本当にそれだけ。このオマージュによって、「花様年華の物語がこう閉じられる」とか「過去のストーリーにこんな視点が加わって、終焉につながる」とか…ありませんよね?

 

例えば、過去の作品とこのMVでは「V氏とJIN氏で目隠しする/される」が逆転していますが、それは花様年華の物語やメッセージとして何を意味しているんでしょうか?

もしこの逆転が何かを象徴しているならば…残念ながらそれは伝わって来ないので、表現力に難ありと言わざるをえません。一方、何も物語っていないのであれば…それは過去の作品を多少変えて「昇華してるっぽく見せている」に過ぎません。

 

Butterでは曲の主題を見事に映像化し、細部まで演出が光るMVを創り出したチームBTSですが…この曲では一体何が起きたのかと眉間にシワが寄ってしまいます。

 

 

閑話休題。そして2です。

うーん…歌っていることと実際のBTSの表立った行動が、フィットしていないように思うんですよね…。いや「懸命に過ごして来た」「息が切れるほど」等の歌詞はまさにその通りでしょうけど…。私が特に強い違和感を感じるのはラップパートなんですよね。

 

「ただ音楽が好きなんだ」

「We ain't about it この世界の期待」

「王冠と花、数多くのトロフィー We ain't about it」

 

花様年華期に限らず、これまでずっと「王冠と花、数多くのトロフィー」を大きなモチベーションの1つにして、音楽も音楽以外の活動も必死にやって来たように見えますが。

そこに富や名声や名誉を求める野心が無かったとでも言うんでしょうか。思わず「ご冗談ですよね?」と半笑いが出そうになりました。まあ、もう全て手に入れた今だからこそ「We ain't about it」と歌えるんでしょうけど。

 

 

「ただ音楽が好きなんだ」

そうですか。ならばあれだけグラミー賞を欲しがっていたのは何だったのだろう?と首をかしげざるをえません。ただ音楽が好きなら、賞なんて気にせず音楽をやっていれば良かったのでは…?

 

「(賞を獲るために)力を貸して」と、メンバー自身の口からはっきりARMYにお願いしたこと、忘れてはいませんよね…?

歌詞の全てが英語の曲・ラップパートがゼロの曲・ほぼ外注プロデュースの曲が連続したことと、賞狙いの戦略が無関係とは思っていませんよ…?

自身の音楽に不可欠の要素…母国語・ラップ・(多少は)自作であることを捨ててまで、権威を象徴するグラミー賞つまりは「王冠」が欲しかったんでしょう?

 

 

「We ain't about it この世界の期待」

なるほど。直近の例で言えば、ホワイトハウス訪問との矛盾を感じるのは気のせいでしょうか?むしろ「世界の期待」を、自身のマーケティングに上手に活用して来たように感じるのですが。

 

アメリカ社会における人種差別を自分の言葉や経験で語れないのに訪問を受諾したのですから、政治的なマスコットとして扱われることはもちろん承知の上ですよね…?

自身の知名度を「良いこと」のために使う姿勢は素晴らしいですが、同時に(グラミー賞の本拠地たるアメリカにおいての)自身の売り込み・権威付けも狙っていますよね…?

 

このように、今までの(&特に近年の)BTSの活動と歌詞に大きなズレを感じるので、曲に説得力を感じないんですよ。むしろ白けるんですよ。ビジネス的なつじつま合わせをしているように見受けられて。

 

「王冠と花、数多くのトロフィー」を目指しての活動を否定する気は全くありません。ですがこの曲は、その活動の原動力の一部であるBTSの野心や野望やプライドを脱臭して、「ただ音楽が好き」「最高は照れ臭い」「慣れない修飾語」と歌う無垢なイメージに加工しているように聴こえてしまうんですよ。

 

そうする方が、甘やかできれいで耳触りがよくて、聴き手が思い出として脳内保存したくなる「BTSの過去」が出来上がりますもんね。その方が、花様年華で演出された「悩み傷つきながら前に進む少年像」と都合良くつじつまが合いますもんね。それを狙ってるんですよね?と邪推してしまうんですよ。

 

もちろん、メンバーがその無垢さを持っていることはある程度真実だと思います。ですが、それをここまで強く増幅させた歌詞を綴られると(私にはそう聴こえます)…「賞やトロフィーを得たい」と必死だったメンバーの姿が脳内に浮かんで、邪魔して来るんです。そのノイズの存在ゆえに、曲がリアルさ・説得力を持って私の胸に響かないんですよ。

 

正直、「音楽が好きだけど、売れたかったし認められたかったし、富も名声も名誉も欲しかった。そのために音楽以外でも色々やって来たし、実際売れてやったぜ。でももう次に行くよ!」と歌われる方が、個人的には余程気持ちが良いです…。

 

BTSの過去や現在を美しく演出して聴き手を騙すのは大いに結構、それがアイドルの仕事の1つなのですから。ただ、邪推がノイズにならないレベルにまで徹底的にやってほしいなあ…と思わずにはいられません。わかってます、わがままですよね。でも「騙すならもっとうまく騙してくれ」という気持ちが拭い切れないんですよ。

 

うーん。私だって邪推なんかしたくないし、この曲とMVで盛り上がりたかったんですけどね…。残念ながらそうはなれなかったので、BTS の次の楽曲に期待して待ちたいと思います。

花様年華と決別する決意をここまで前面に出して、「I just wanna see the next」と歌うのであれば、次が無い方が考えられない。だって、「The best is yet to come」なのだから。

 

そして感想は②に続きます。

②は2022 BTS FESTAの「真 防弾会食」を観た上で、自分が感じたことをふまえて感想を書きます。(なので私見・私情が①以上に入りまくる予定)「真 防弾会食」を観る前と後では、この曲とMVの感想ががらっと変わったので。

 

※画像はOfficial MVよりお借りしました。

The Post感想(ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書) - 画面から聞こえるのは、「オレの演出を見てくれ!」

監督:スティーヴン・スピルバーグ

脚本:リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー

メインキャスト:メリル・ストリープトム・ハンクス

日本公開日:2018年3月30日

 

あらすじ

ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていた1971年。国防省ベトナム戦争に関する経過や客観的な分析を記録し、トップシークレットとなっていた文書、通称“ペンタゴン・ペーパーズ”の存在をNYタイムズがスクープ。

アメリカ初の女性新聞発行人として足固めをしようとしていたキャサリン・グラハム、そしてその部下である編集主幹ベン・ブラッドリーをはじめとするワシントン・ポスト紙の面々は、報道の自由を統制し記事を差し止めようとする政府と戦うため、ライバル紙であるNYタイムズと時に争いながら連携し、政府の圧力に屈することなく真実を世に出そうと決断する―。(Filmarksより)

 

---- ここから盛大にネタバレしています ----

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とある「決断」が、映画最大のカタルシスになるまで

この映画は「報道の自由」が主題ですが、政治的な主張が強い内容ではないですし、ポリティカル・スリラーでもありません。主題をめぐる戦いを通して描かれる、主人公2人の成長。これが本作の見どころです。特に、メリル・ストリープ演じるキャサリン・グラハムの成長がキモ中のキモ。

 

上流階級の奥様(専業主婦)でしかなかった彼女は、夫の死によりワシントン・ポスト社のトップの座を仕方なく受け継ぎます。映画序盤の彼女は、100%男社会である役員会議ではビクビクで、発言もまともにできないほど自信ゼロ。部下である主幹編集者、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)に強めに意見を主張されれば、うつむいて弱々しく言い返すしかできない。

 

そんなキャサリンですが、最終的には「トップ経営者」としての矜持を周囲に示せるまでに成長を遂げます。この成長過程でキャサリンが下した「とある決断」が、結果的に超保守的な男社会に一撃をお見舞いし、報道の自由を脅かす政府に対して反撃をかますことになるんですよ。これが、この映画最大のカタルシスです。

 

なので、「とある決断」を下すに至るシーンは超重要なわけでして。そして、ここでのスピルバーグ御大の演出が「絶品」の一言!以下、主要なカットごとに彼の演出を考察して行きましょう。

 
 
カット1:キャサリンが覚悟を決める

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キャサリンワシントン・ポストの経営層と顧問弁護士に囲まれて、「記事は差し止めにするべきだ」と迫られるカット。
 
まず特筆すべきは衣装と照明でしょう。ダークスーツの男性の群れの中で、キャサリンが着ているのは白いドレス。彼女が彼らとは対照的な存在であることを色で暗示しているんですね。
照明の当て方も素晴らしい。ドレスの「白」が画面内で浮かび上がって見えるよう、つまり観客の目線がキャサリンに向かうよう、計算して彼女を照らしています。

 

そして、離れた位置から様子をうかがうベン。彼の意見は「記事を出すべきだ」で、経営層とは正反対。この意見の違いが、画面内の位置関係でも表現されています。この時点では、キャサリンはベンからは遠く・投資家に近い位置にいるので、彼女がまだ迷っていることも視覚的に示されています。
 
 
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彼女は悩みながら、「ワシントン・ポストの従業員を守る責任がある」と経営層に語りかけます。その後に「ですが…」とつぶやくと、立ち上がってベンの方へ近付いて行く。
このキャサリンの位置の変化から、彼女がベンと同じく「記事を出す」を選んだのがわかりますね。起承転結の「承」への流れが見て取れ、否が応でも次の展開に期待が高まります。
 
 
 
カット2:キャサリンが反論&議論の舵を握る

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続くカットから、キャサリンの経営陣に対する反論がスタート。同時にカメラの位置もチェンジ!「決意はもう済んだ。今度は決断をぶつける段階に入った」と告げるかのような、アツいアングル変更ですなあ〜。
以降、記事を差し止めるや否やの論戦が終わるまで、基本的にカメラはこの角度に固定されます。つまり、ここが「キャサリンの戦いの場」だとスピルバーグ監督が示しているんですね。

 

 

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議論の序盤で、彼女が全幅の信頼を置く唯一の味方、フリッツが介入。彼は劇中キャサリンを常に見守り応援していましたが、ここで初めて彼女を止めようとします。
この時の登場人物の位置関係も秀逸!フリッツはキャサリンの味方でいたいものの、経営層寄りの慎重な意見なんですよね。キャサリンと画面右端の投資家の間に彼が立っていることで、それが描かれています。
 
 

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取締役がキャサリンに反論しようとすると、「私は今、ブラッドリーさんと話している途中です」と一喝。ピシャリと彼を黙らせます。
この画面の作りも最高じゃないですか!?遠近法で、キャサリンとベンがかなり近い位置にいるように観る側を錯覚させている。これはもちろん、彼らが同志であることを印象付けるためです。(対する取締役は、カメラに背を向けており、画面内での存在感をかなり消されています)
 
 
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キャサリンの反論は次第に熱を帯びて行きます。フリッツは彼女の決意が固いと悟ると、「彼女がこの会社の所有者・意思決定者だ」と取締役に言い残し、「喧嘩の場」から退場。フリッツはカメラに背を向けて、目線は明らかにキャサリンにすえたままで、この位置に座ります。
 
面白いのは、キャサリンは議論の相手が取締役になる時は、ほぼずっと椅子を握っていること。これ、取締役がカット1で座っていた椅子なんですよね。この演技(多分監督の指導)が描き出すのは、キャサリンの決意。議論の主導権・その議論の先にある会社の行く末は、自分が決定権を「握っている」と、彼女の右手が語っているんです。
 
 

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フリッツの退場後、取締役も黙らせたら、キャサリンは握っていた椅子をしまいます。もう一回言いますが、これ取締役が座っていた椅子ですからね。つまりこの動作は、「あなたとの議論は終わりです」の合図に他なりません。
 
 
 
カット3:キャサリンが決断を叩きつける
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そしてカメラが彼女にどんどん近寄って行きます。それに合わせて、キャサリンも「この会社は、今は私の父親の会社ではありません。夫の会社でもありません」と語気を強めながら取締役に近付いて行き…。
 
 

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「私の会社です」と叩きつけます!「そう思わない方は、私の取締役会に居場所はないのかも知れませんね」という捨て台詞付き!!映画の序盤で自信なさげに萎縮していた彼女とはまるで別人です。
ここでも、監督の演出が光っています。「私の会社です」とキャサリンが言う瞬間に、それまで彼女の後ろにいたベンが画面から消えるんですよ。もちろん、「そうなるように」監督は撮影していますよ。キャサリンの成長を象徴するこのカットで、彼が後ろに見えてしまうとノイズでしかないですから。
 
 
 
カット4:決断後、キャサリンが不安を感じる

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そして、またしてもカメラの位置が変わります。「戦いの場」アングルではなくなり、議論が終わったことが示されます。
ベンから「軍の兵士達を誰も危険にさらすことなく記事を出せる」と保証が得られると、キャサリンは「では、(記事を出すという)私の判断は変わりません」と締めくくりますが…。
 
 

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その刹那、彼女の表情が曇ります。両手を神経質に動かしたり、何度も組み替えたり…。メリル・ストリープの見事な演技が物語るのは、キャサリンの本心。経営陣の反対を押し切って決断したものの、自信が100%あるわけもなく、政府を敵にする怖さが消えたわけでもない。
 
でも、その内心を「背後にいる男性達には見せない」とキャサリンは腹を決めており、彼女の立ち位置がそれを象徴しています。かろうじてベンから横顔だけは見える位置ですから。ベンは、この決断のリスク(最悪の場合刑務所行き)を共に背負う仲間なんですよね。だからこの中で彼にだけは、不安と恐怖を少しだけ見せられる。
 
それでも、リスクは明らかにキャサリンの方が大きい。ベンはワシントンポストの経営者ではないので、従業員にも会社の行く末にも責任を負っていません。だからこそ、彼であっても、キャサリンは本心の一部だけ(横顔)しか見せないのでしょう。彼女の気持ちを表現する装置として、人物の立ち位置が見事に機能していますね。
 
 
カット5:キャサリンが去った後
そして彼女が部屋を去った後、フリッツは半分あきれたような、感嘆混じりの笑顔を見せます。ベンはすぐに記事印刷の最終GOを指示。印刷機が回り始め、彼女の決断の結果が新聞紙と言う形になって、世に出されます。

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この一連のシーン、約3分しかないんですよ。ですがキャサリンが決断を下し「私の会社です」と言い放つまでの持って行き方が練り上げられており、その瞬間の快感たるや!演出と言う魔法が持つパワーをまざまざと見せつけられます。
 
このシーンは、画面内の情報のコントロールが非常に緻密です(画角・人物の立ち位置・何を/誰を/画面のどこにどのように映すか等)。これだけ精緻な画面の作りですから、スピルバーグ御大が気合を入れまくって撮ったんでしょうね。だって、「オレの演出で!感じてくれ!」と言う監督の声が、画面から聞こえて来そうなくらいですから。
 
バックに音楽もかけず、特殊効果もほとんど使わず、ほぼ役者の演技と監督の演出スキルだけでこのシーンを作ったことに、彼の気合というか自信の程が感じられます。なんかこう…スピルバーグ御大、演出の手腕の凄まじさを見せつけて来ましたよね(笑)。いや、楽しかったからいいんですよ!もっとやってください
 
 
 

Permission to Dance Official MV感想 - 正しい。でもモヤモヤする。でも応援はしたい。

BTS (방탄소년단) 'Permission to Dance' Official MV - YouTube

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※あくまで一個人の感想です(解釈、考察、妄想も多分に含みます)

※"Permission to Dance"のMVについて、ネガティブな感想が書かれています。ご覧になりたくない方は、このページは閉じて回れ右してくださいね!

 

 

このMVでBTSが描くのは、COVID-19禍における希望のメッセージです。それはとても「正しい」行動だと思います。誰もがマスクを外して笑顔になりたいし、大切な人と触れ合いたいし、何の不安もなく楽しく踊りたい。それが容易に叶わない現状では、「もうすぐ叶うよ」と言ってくれる歌に癒されたいですよね、そりゃ。

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COVID-19状況下で、より強く影響を受けたと言われる人達・市井のヒーロー/ヒロイン(いわゆるEssential wokersを含む)にスポットライトを当てる。これも非常に「正しい」姿勢ですよね。このMVでピックアップされているのは清掃員、教師、オフィスワーカー、配達員、外食サービスに携わる人々ですね。

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そしてMVの登場人物が「ある程度の数の」人種で構成されていることも、「正しい」と思います。COVID-19のウィルスは肌の色なんてお構いなしに感染力を発揮しますし、人種に関係なくあらゆる人が影響を受けていますから。

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そんな「正しさ」でコーティングされたMV。それを私は魅力的と感じたか?答はNOでした。理由は単純で、「正しさ」の表現が総じて中途半端に見えてしまったからです。

 

まず、MVが希望として指し示す「COVID-19の終息」。そこに至るにはまだまだ程遠く、それは”We don’t need to worry”と明るく歌って踊れるようなものではないと私は考えています。

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ワクチン接種が進んだ国でも新たな変異株が登場し、再度ロックダウンに踏み切る・新たなワクチン開発を始動させる国が出始めています。医学とウイルスの追いかけっこはまだ終わっていません。

 

大切な人をCOVID-19で亡くした人もいます。他にも、感染して一命は取り留めたものの後遺症と戦っている人も。感染こそしなかったものの、経済的に・社会的に大きな影響を受けている人も。彼ら/彼女らの人生は今後もずっと続いて行くんです、COVID-19から受けた影響を抱えたままで…。だから思うんですよ、「終息」って、扱いがとても難しいものなんじゃないかな…と。

 

そんな考えの私から見たら、マスクが外れて踊れる日が来ればそれが「終息」であって…今はつらくてもいつかそうやって"land"できるから…と語るMVは…。「終息」の難しさに対する眼差しを欠いた、表面的なメッセージに聞こえてしまったんです。ゆえに、それは励ましとも癒しとも希望とも感じられず…胸に広がるのは虚しさばかりでした。

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そしてスポットライトの当て方も、私にとっては何だか首をかしげたくなるものでした。Essential workers の最たる例である医療従事者はどこへ…?

いや、このMVが「単純に」市井で働く色々な人たちをモチーフにするだけなら、今のままでも全然良いんですよ。でも違いますよね?わざわざテーマにCOVID-19を持ってきておいて、かつそれに影響を受けたいくつかの職種(配達員・清掃員・外食サービス従事者等)は登場させているんですから。

にも関わらず、医療従事者は除外するのは…。職種の選択には製作陣の意図が何かあるんでしょうけど。

医療従事者なくして ”The wait is over”と歌い踊る意図って…どういうことだろう…?と疑問がぬぐい切れません…。

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さらに、このMVは複数の人種を登場させることで、「世界の皆さん」を表現しようとしています。COVID-19禍にある「世界中の人々」に、この曲の聴き手になってほしいからでしょう。(歌詞が全て英語なのも、国際手話を振付に取り入れているのも、「そういうこと」ですよね?)

しかし…MVに登場しない人種が世界にはたくさんありますが…彼ら/彼女らはどこへ…?全人種は不可能だとしても、せめて中東系・インド/パキスタン系・東南アジア系・メキシカン/ラテン系だけでも入れて欲しかったですね…。

黒人・白人・東アジア系と中途半端に3つ位の人種だけ出演させて、多様な世界の人種(世界の皆さん)を表現しようとしているので、それに対する違和感がスルーできず…。曲が頭に入って来ませんでした…。

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もっと突っ込むと、COVID-19という全世界的なテーマにも関わらず、MVがこんなにアメリカっぽいのはなぜ…?メンバーが演じるのはカウボーイなので、アメリカ西部の砂漠っぽい背景は理解できますが…。

カウボーイと関連が無い配達員のトラックまで、アメリ郵政公社(US Postal Service)のそれと酷似してますよね。コインランドリーや学校内部も、明らかにアメリカ仕様ですし。

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これだけ強く特定の1ヵ国を感じさせるMVに、世界の色々な都市・国の標識が出て来た時は、あまりの唐突さに面食らいました。まさか…この標識を登場させることで、グローバルなテーマだと強調しようとしているんでしょうか…?それ、アメリカンな背景と全くマッチしてませんが…。

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まとめます。

「COVID-19」というテーマに対し、それを表現するパーツの扱い方が雑と言いますか…中途半端なMVと感じました。結果として、その中途半端さが悪目立ちしてしまい、MVが伝えるべき曲の良さにもBTSメンバーの魅力にも集中できませんでした。

 

ButterのMVでは、テーマを物語る演出のコントロールが細部まで見事に効いていたんですけどね。そのMVを世に出したのと同じチームの作品なのかな?これは?と一瞬疑ったくらいです。

 

このMVでは、「COVID-19の終息」「COVID-19に影響された人々」「世界中の人々(人種の多様性)」が重要な要素として配置されています。特に最初の2つは、それこそドキュメンタリー数本作れる位のものすごい質量を持っていると思います。

数分のMVでこれらを完璧に練り上げて表現しろとは言いませんし、これらがMVで大した役割を果たさないのであれば私も気にならなかったでしょう。

ですがMVのキーパーツとして機能させるのであれば、もう少しだけ丁寧に扱って欲しかったなあ…と…。一介のアイドルのMVにそこまで求めるのは酷だと言われれば、「そうですか、ごめんなさい」と返すしかありませんが…。

 

むしろ、この曲の内容と歌詞からして、COVID-19をMVの主題にする必要ってあったんですかね…?MVを見ずに曲だけ聴くと、「音楽を鳴らせ!踊ろう!許可なんていらないよ!」というシンプルな楽しさが光を放つ曲だと思うんですが…。その楽しさを、なぜCOVID-19という切り口から表現したのでしょう…?

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本音を言えば、こんな邪推やモヤモヤは感じずMVを楽しみたかった…。そしてMVのメッセージと紐付かない状態で曲を聴いてみたかった…。ですが、困ったことにBTS自体は応援したいんですよ!BTSは好きなんですよ!

このMVにポジティブな感情をもらった人は多くいるでしょうし、それは本当に素敵なことだと思います。そんな風に、私もいつかこのMVを好きになれたらいいなあと願う気持ちも持っています。

BTSメンバーも、製作陣が固めたコンセプト・テーマの中で、彼らがベストと思うやり方で、演者として最善を尽くしているんでしょう。

製作陣も、中途半端(に私には見える)な正しさを使ってでも、BTSというプロジェクトで成し遂げなければならない何かがあるのかもしれません。(特にアメリカ向けの何か。これだけアメリカ風味なMVなので)

外野が何と言おうと「チームBTS」はそれに向かって進んで行くでしょうから、私は応援するのみですね。

 

※画像はOfficial MV、Official teaserよりお借りしました。

Butter Official MV感想(カラーパート) - 色と衣装が描き出す、彼らのストーリー

BTS (방탄소년단) 'Butter' Official MV - YouTube

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※あくまで一個人の感想です(解釈、考察、妄想も多分に含みます)

※以下の記事からの続きです。よろしければこちらを先にどうぞ!

Butter Official MV感想(白黒パート)- 華やか、鮮やか!色の世界への伏線 - 好きなものつめあわせ

 

はじめに:

ButterのMVは、37秒目から曲の終わりまで映像がカラーになります。このカラーパートは、画面内の配色を基準にすると、以下の5幕に大別できます。

  1. カラフル(白黒多め)
  2. カラフル(白黒少なめ)
  3. カラフル(白黒ゼロ)
  4. 白黒
  5. 黄&黒

また各幕の配色と連動して、衣装のタイプも変化します。まとめると以下の通りです。

  1. フォーマルスーツ
  2. カジュアル
  3. ストリート
  4. ジェンダーレス
  5. フォーマルスーツ

で?だから?と思いますよね。いやいや!このMVは色合いと衣装で、各幕のBTSがどんな存在かを表現し、同時にMVの物語を非常にうまく展開して行くんですよ!では、各幕見て行きます。

 

第1幕:カラフル(白黒多め)/フォーマルスーツ

直前のモノトーン映像から、色の世界に切り替わりました。が、画面の配色は白と黒の存在感が強いまま。メンバーもハイファッションなスーツから変わらず、彼らが扮しているのはまだ「キメキメの泥棒さん」ですね。

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第2幕:カラフル(白黒少なめ)/カジュアル

そしてホットケーキとバターの登場を合図に、白黒とカラーの主従関係が逆転する第2幕へ。色の構成比でカラーが勝るようになり、モノクロのスタイリッシュ感が薄まります。

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同時に衣装もカジュアルダウン。JIN氏・j-hope氏は上着を脱いでシャツになり、RM氏・SUGA氏はラフなデザインのジャケットへ。JIMIN氏・V氏・JK氏もカラースーツに着替え、肩の力が抜けた印象に。

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配色と服装の変化が物語るのは何か?まだ泥棒さんな彼らですが、スタイリッシュにキメていた前半よりも「スキ」が見え始めたよ!と伝えてくれているんですね。

 

その「スキあり男」の代表として登場し、MVの物語を動かすのはオレンジスーツのV氏。彼が乗り込むエレベーター、よーく見ると「下り」でして。V氏は下に行こうとしてるんですね。

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でも彼が押したのは、ボタンの並びの中で一番上にある「A」…そう、ARMYです。このエレベーターのボタン、B1~B7・A・BTSロゴ・ARMYロゴなんですよ。もちろんB1~B7はBTSの7人、AはARMYを表しています。

 

で、V氏は下に行くはずが「A」を押してARMYのところに行っちゃって、泥棒さんの正体がBTSとバレてしまう事件が起きるんです。

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ここからは事件が起こるまでの流れが描かれます。まずJIN氏が登場し、「顔くらい隠しなよ!」と言わんばかりにサングラスをV氏に投げ渡すと…

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そのサングラスで顔を隠して、V氏はニヤリとひと笑い。白い光が画面を割りながらそれに重なります。この光はスクープされた時のフラッシュ撮影を表現しており、V氏のおどけた表情が意味するのは「BTSってわかっちゃった?」ですね。

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「内緒だよ!」と口止めするカットも差し込まれ、正体が明るみになったことが強調されます(「やっべ、バレたー」的なひょうきんな表情の方もいますが…笑)

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スクープを受けて、JIMIN氏が「泥棒さんの正体はBTSだよ!」と、記者会見でオフィシャルに発表。

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第3幕:カラフル(白黒ゼロ)/ストリート

JIMIN氏が「紹介するね」とカーテンを開くと、BTSが登場!同時に、白黒はほぼ存在しないカラフルな世界にスイッチします。

衣装も色とりどりですが、JIMIN氏も髪をおろしレインボーカラーを画面に加えます。さらに背景も色の洪水。床は明るいグリーン、壁はベージュと黄土色(意図的にホットケーキ&バター色にしてますね)、ドアやシャッターは朱色ですから。

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カラフルなジャージ・アクセサリー類の系統は、明らかにHip Hopまたはストリートダンス。BTSの「音楽とダンスの原点」を象徴しているのは間違いないでしょう。

背景の体育館?には、撮影機材・照明・録音機器・アンプが点在し、アイドルの仕事を連想させる小道具として機能しています。SUGA氏が歌うバックには、世界中を飛び回るアイドルには欠かせない飛行機をさりげなく見せることも忘れません。

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つまりこの色味と衣装は、泥棒さんの正体を「Hip HopアイドルのBTS」だと描写しているんですね。カラフルなストリートウェアは、泥棒さんの白黒フォーマルスーツと対をなしています。

 

第4幕:白黒/ジェンダーレス

そして、RM氏の登場とともにカラフルな世界は終了。メンバーが人文字で「ARMY」と描く姿が映されます。衣装も背景もモノトーンで統一されているのですが…。

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このMVは、服装がラフになるほど彼らは「泥棒さん」から遠くなり、BTSに近くなる演出の法則があります。でも他の4幕と比べ、ここでの彼らの描かれ方は異質なんですよ。なぜなら衣装はラフになったものの、その方向が「ジェンダーレス」だから。

 

説明しましょう。

直前のパートまで、彼らはいわゆる「男性的な服装」の範囲内で、フォーマル→カジュアル→ストリートへ着崩しています。でも、ここで初めて「男性的」から少し距離のあるフリル、レース、パール、オーガンジー等が施された服になります。JIN氏とV氏のボトムスなんてスカートっぽく見えますし。

 

ステレオタイプな男らしさ」を薄めた衣装。かつこれを着ている時に彼らの支えである「ARMY」を登場させた…この2点から推測すると、第4幕での彼らは「BTSの思想」を体現しているんじゃないでしょうか?それはきっと、既存の固定概念に(ここでは”男らしさ”)臆さない決意と、ARMYと愛情を渡し合う関係でしょう。

第4幕でまとう白黒衣装は「BTSの信念の原点」であり、カラフルなストリートウェアが象徴する「BTSの音楽とダンスの原点」とはコントラストの構造なんですね。

 

第5幕:黄&黒/フォーマルスーツ

MVのクライマックスは、Butterの象徴である「黄&黒」の世界が展開されます。一度はBTSとして実の姿を明かしましたが、泥棒さんに再度変身!「これまでもあなたのハートを盗んできたけど、今度は溶かして頂いちゃいますよ♥」と宣言していますね。

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BTSから泥棒さんに戻ったことは、第1幕の彼らが差し込まれる点からも明らか。第5幕では黄&黒、第1幕は白黒と色味こそ違えど、同じフォーマルスーツ(スタイリッシュな泥棒さんの象徴)ですから。

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MVの中盤でBTSに姿を変えて、終盤で泥棒さん(歌詞にある"a criminal undercover"や”a robber")に戻る。物語が気持ちよく連環しています。

さてここで興味深いのは、最後の最後で第4幕のBTSが再登場すること。第3幕の「Hip Hopアイドル」を体現したカラフルな彼らは出て来ないんですよねぇ。何でだろ?

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その理由をあえて深読みすると、「Butterではこれを前面に出して攻めるぜ!」とBTSが表明しているのでは?と感じます。

「これ」とはキメキメにかっこつけた彼らと、BTSの精神性。前者はスーツ姿の泥棒さんが体現し、後者のシンボルがジェンダーレスな服装のBTSですね。Hip Hopアイドルな彼らは、Butterでは控えめにするとか、裏バージョンで行く的な戦略なのかしら?あくまで妄想ですけど。ふふふ

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まとめ:

かくしてMVは終幕を迎えます。いやあ~白黒パートに続き、カラーパートも楽し過ぎますね!

白黒パートは切れ味抜群のカット割りと、魅力的な白黒画面を作る技術に拍手喝采でした。一方のカラーパートは、色彩と衣装を語り部としてMVを展開させる手腕が冴え渡っています。好き!

 

服装にドレスアップ/ダウンと言う「上下の対比」だけでなく、ジェンダージェンダーレスという「種類の対比」も加える。これにより被写体であるBTSに、泥棒さん/Hip Hopアイドル以外のストーリーがプラスされるんです。秀逸!大好き!

 

ButterのMVは画面内の動きも情報量も控えめで、スッキリしています。画面の作りも「視線の起点は中央」または「中央で画面2分割/左右対称」構造が徹底され、非常にシンプル。

からこそ、色と衣装がとんでもないパワーを発揮するんでしょう。いや逆か。色と衣装が推進力となるよう、逆算して映像表現をシンプルに組み立てたんですかね?

 

まあいいや♥ 作り手&演じ手の愛情と気合が感じられる、非常に楽しいMVでした! 

 

※画像はOfficial MVよりお借りしました。

Butter Official MV感想(白黒パート)- 華やか、鮮やか!色の世界への伏線

BTS (방탄소년단) 'Butter' Official MV - YouTube

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 ※あくまで一個人の感想です(解釈、考察、妄想も多分に含みます)

 

なぜ「冒頭が」白黒なのか?

いきなりですが、このMVが白黒で幕を開けるのは、2つ意味があると思います。

 

① まずは「ワルな泥棒さんとしてのBTS」をモノクロでスタイリッシュに演出するためでしょう。だって、ワルと言っても「あなたのハートを溶かして盗む罪なオトコ」であることが罪状ですから

かつ、それをオシャレに仕立て上げる小道具の1つが「マグショット(犯罪容疑者の写真)」。映画でよく見る古典的なマグショットは、白黒と相場が決まっています。それに合わせて、白黒パートを設けたのもあるんじゃないですかね?

 

② もう1つは、曲の中盤で白黒から「色の世界」に切り替えて、MVに変化を加えたかったのでは?と思います。要は曲始めの白黒パートは、そのための下準備ですね。

 

白黒の後にカラー映像が控えていること事前にバラしたくないからこそ、Official MVのサムネイルも白黒パートから取ったのでしょう。

 

このMVでBTSは「ハートを盗む泥棒さん(とその正体)」を実に色々な表情で演じています。そしてそれは、映像の色(白黒/カラー/黄&黒)・服装(フォーマル/カジュアル/ストリート)で明確に区別されていると思います。

 

その中で、白黒の映像と衣装は「フォーマルなスーツでスタイリッシュ」なBTSの表情を見せつつ、中盤以降に訪れるカラフルな世界への伏線としても機能しています。

 

JK氏パート

幕開けはJK氏。画面中央で歌う彼をメインに、隙間に色々なカットが差し込まれます(彼のパートは左右に視線を振る動きが多めですね)このカットの組み合わせが、小気味良くて実に気持ちいい!

以下、各カットを視線の方向/画面上の白黒の割合でたどって行きます。

 

1. 左→右(JK氏が移動)/白多め

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2. 中央→周辺(JIMIN氏は中央で動かず、周りのメンバーが動く)/黒多め

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3. 中央→右(JK氏の手の動き)/黒多め

この右手の位置が、次のカットへの視線誘導となっていますね。

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4. 中央→右(V氏の視線&指、JK氏が移動)/白多め

直前のカットで右に誘導された視線に、またしても右方向へ動くJK氏が重なります。楽しい編集のしかけに胸がドキュン

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5. 中央&下→上(JK氏の手の動き)/白黒半々
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6. 中央/白多め 

カット5&6で目線を中央に戻して…

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7. 右→左(メンバーの手の動き)/白黒半々

ここで左に目線を振ったら…
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8. 中央右寄り/白多め

ここで目線を画面右寄りのJK氏にフォーカスし直します。この位置も、もちろん次のカットへの布石(視線誘導)です。
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9. 左→右(JK氏の黒目の動き)/黒多め

直前のカットで右に誘導された我々の視線と、JK氏の黒目がここでバッチリ出会います。観ている側のハートを射抜くぜ!という監督の気合が感じられるカット構成。

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10. 画面全体(中央で黒の集団の動き、周辺で白&黒の動き)/白多め

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11. 周辺→中央(JK氏が上着を閉じる動き)/黒多め

直前のカットまで背景はほぼ白ですが、ここで初めて背景が黒に反転。

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12. 中央&奥→手前(JK氏が躍りながら出てくる動き)/黒多め

黒背景がもう1カット続きます。「もうすぐV氏に変わるよ!」の予告でしょうね。黒背景に溶けつつ踊るJK氏の黒スーツの動きが美しい。

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V氏パート

13. 中央/黒多め
そして手前に誘導された視線の中に、V氏がスッと入って来てボーカル交代。

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14. 右→左(メンバーの首の動き)/白黒半々
ここでもう1度背景が白黒反転!背景が白に戻ります。

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15. 中央&下→上(V氏の手の動き)/白多め

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16. 中央&下→上(JIN氏の手の動き)/黒多め
さらにもう1度背景が白黒反転!背景が黒に戻ってJIN氏が登場。「次はJIN氏が来るよ!」の予告でしょう。黒背景に浮かぶ白スーツと、光(白)と影(黒)で映し出されたJIN氏のお顔が印象的。美しい影絵のようですね。

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17. 中央→周辺(V氏を中心に放射上に黒→白に反転)
V氏の体の弾みに合わせて、再度背景が白黒反転!「JIN氏の前に、まだ今はオレの番だよ」と言わんばかりに背景を白に戻す、茶目っ気たっぷりな演出。

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18. 中央/白多め
V氏を中心にすえた短いカットが2連発で差し込まれます。

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19. 画面全体(メンバー全員がターン)/白黒半々

画面に点在する「黒」が回転する様が、白背景に映えます。

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20. 中央/白多め

V氏を中心にすえた短いカットが、今度は3連発で入って来ます。

JK氏パートと比べて、V氏パートでは背景の白黒反転が増え、カットの連発挿入で画面が早く切り替ったりします。曲が進むにつれて、画面の動きも大きく&早くしている気がしますね。

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21. 画面全体/白黒半々

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JIN氏パート

22. 画面全体/黒とグレー中心

ここで背景が変わり(若干グレーに近い白になり、無地から文字&線ありへ)、ボーカルをJIN氏へバトンタッチ。直前のV氏パートはカットの切り替えが激しめだったのと対照的に、ここで画面の動きが落ち着きます。

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23. 中央/グレー&真っ白

…と思ったら、画面全体の色がグレー&真っ白(マグショット撮影のフラッシュ)に瞬間的に切り替わる。この「色の点滅」が4人分連続します。

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24. 画面中央(JIN氏のみ動く)/グレー多め

そして再びJIN氏を中央にすえた動きが少ない画面へ。直前のカットで画面を点滅させたので、ここで小休止でしょう。JIN氏パートは編集の緩急の付け方が実にニクい。

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25. 画面全体(メンバー全員の手の動き)/黒とグレー中心

前のカットもですが、V氏は上着を脱いで黒担当からグレー担当に変わってますね。これにより、画面全体の白黒バランスが良い感じに。

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26. ここで白黒からカラーの世界へスイッチ

直前のカットの手の動きに合わせて、スムーズなカットチェンジ!

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白黒パート総括

時間にして約36秒しかありませんですが、いやあ~楽しいですね!

カットごとに白・黒・グレーが画面に占める割合が変わりますし、白背景の中で黒がどう動くか?逆に黒背景の中で白がどう動くか?もコロコロ変化する。

かつ、1カット内の動きの方向が多様なんですよ。右→左、下→上、奥→前…そのパターンも、目/手/首/体全体、1人で/2人で/メンバー全員、回転/直線…と実に多彩。

なので、白黒なのに画面がとても華やかで、観ていて飽きることがありません

 

モノトーンの世界で「活きる」ように、メンバーの服装・小物や髪色・髪型が緻密に考えられている点も脱帽です。それによって画面で何が白/黒になるか、どんな質感の白/黒に見えるか、が決まりますからね。

 

さらに、世の中には様々な編集テクニックが存在しますが…画面を揺らしたり、カットにカットを重ねたり、他にも色々…。

この白黒パートは、意図的にそのテクニックの使用を抑えています(おそらく)。どこに何のカットを配置するかの采配と、白黒の見せ方含めたカットそのものの魅力だけで、鮮やかな映像を生み出しています。

 

これぞディレクションの妙技。堪能させて頂きました!

 

※画像はOfficial MVよりお借りしました。

Still Breathing感想 - 生死の境で「まだ生きている」あなたへ

Green day

※歌詞/メロディー/編曲/その他 の4つの視点から、曲の感想を書く…はずでしたが、歌詞があまりにも心にぶっ刺さったので、今回は歌詞にフォーカスします。

※あくまで個人の感想です。

 

[歌詞]

この曲の主人公はGreen Dayのフロントマン・Billie Joe Armstrong氏です、おそらく。彼は自分の頭や心にあるものを歌詞に落とし込む楽曲製作スタイルですが、Still Breathingも例外ではないでしょう。

 

彼がね、歌うんですよ。体の底まで貫くような苦しみを経験しても、それに自分の世界を破壊されても、俺は前を向こうとすると。前を向けないかもしれない危うさを自覚しながら、前を向く恐怖も感じながら、そのたびに「俺はまだ生きている」と確かめて、目線を前に戻すと。こんなの泣くに決まっているじゃないですか!ばか!

 

Verse1の歌詞には、生と死の境目に立っている人達や、そうでなくとも「あちら側」へ簡単に行ってしまいかねない人達がたくさん登場します。以下、一部抜粋して例を挙げます(意訳含む)

Asoldier coming home for the first time(戦争での兵役を終えて、帰って来た兵士)

A junkie tying off for the last time(打てば死ぬのに、麻薬の注射をするために腕を縛るドラッグ中毒者)

A loser that’s betting on his last dime(持ち金最後の10セントを賭ける、負け犬のギャンブル中毒者)

 

Billie Joe氏は、そのすべてに”I’m like(俺は~みたいだ)”と付けています。つまり彼は「俺もこの人たちも同じだ。すぐ隣に死や闇がある」と歌っているんですね。

 I’m like a soldier coming home for the first time

 I’m like a junkie tying off for the last time

 I’m like a loser that’s betting on his last dime

そしてそれに続く”Oh I’m still alive(ああ、俺はまだ生きている)”で、彼は自分が「あちら側」に行っていないことを再確認するんです。

 

でも「こちら側」も悲惨で、彼にとっては“wreckage”(破壊されまくった後の残骸)でしかない。なのに、そんな苦しみの象徴でしかない残骸の山でも、彼は”shine a light into the wreckage, so far away away”(できるだけ遠くまで光で照らすんだ)とVerse2で歌う。なぜか?その答は以下のHookで明示されます。

Cause I’m still breathing(俺はまだ息をしているから)

Cause I’m still breathing on my own(俺はまだ自力で呼吸できているから)

My head’s above the rain and roses(悲しみも愛も受けとめて)

Making my way away(ここから離れるための道を)

Making my way to you(君へと続く道を俺は進むよ)※1

 

はい、この歌詞で私の涙腺は崩壊しましたよ。だってこれ、「死」に相当近い状態ですよ。(自分の呼吸を意識しないと、自分の生存確認ができないギリギリの状態)それでも「生」の方向へ行こうと・前に進もうとあがくんですよ。あがいた先にいる「君」に向かうために…って、泣かないのは無理でしょうよ!ばかばか!(2回目)

 

この「君」は特定の「誰か」かもしれないし、自分を支えてくれる「何か」という線もあり得ますし、「もう1人の自分」を指す可能性も考えられます。Billie Joe氏は解釈を聴く側に委ねてくれていると考えていいでしょう。なんにせよ、自分を「こちら側」にとどめてくれる誰か/何かには違いありません。

 

さらに、私の喉の奥をしめつける歌詞が終盤(Bridge)で出てきます。

As I walked out on the ledge(俺がビルのへりに足を踏み出したように)

Are you scared to death to live?(お前、生きるのが死ぬほど怖いのか?)

 

1行目は、自殺未遂を示唆しています。高層ビルから飛び降りようとして、屋上の端にあるへりに立った状況ですね(Lyric videoでもそれが描かれています)。そこから空中に踏み出してしまえば簡単に死ぬことができる。そう、生と死を分ける距離はその「1歩」でしかありません。

 

そして2行目。そこまで生と死が近いと、生きることが死ぬほど怖いし、死ぬことが生きるのと同じくらい怖くなるんですよ。Billie Joe氏に「お前もそうか?」と問われて、Noと言えない自分に気づかされるんですよ。死ぬのは怖いけど、この現実を生きるのも怖い。本来は、死ぬことの方がずっと怖いはずなのに。

 

この部分を聴くたびに色々な感情がぐちゃっと混ざって、私は喉元をつかまれたような気持ちになります。普段は普通に暮らしている私でも、死までの距離はほんのわずかと再認識させられるから。生きることと死ぬことのどちらがより怖いか、私も時々わからなくなるから。

そして、Billie Joe氏もそうだということに、彼がそれを歌ってくれたことに、少しだけ救われるんです。

 

そして曲の最後。ここでも、やっぱり彼は”Cause I’m still breathing”と繰り返し歌います。生と死のギリギリの境界線で、怯えながら踏み出す一歩は「生」の方なんだと、何度も宣言するかのように。

誰が何と言おうと、その一歩が意味する決意を、私は美しいと思うんです。

 

[その他]

※1:この ”Make my way”は、既に出来上がった道を進むのではなく、道のないところに自分で道を作って/道を見つけながら進んで行くニュアンスを含みます。他の歌詞と組み合わせて考えると、個人的には「ガレキと残骸の山に足を取られつつ、苦労しながら進む」イメージが浮かびますね。

 

編曲について少しだけ…。Green Dayらしい非常にシンプルで大好きな編曲です。リズムも4分の4拍子で、コード進行もひねった部分はありません。IntroからVerse1まではギター音のみで、Verse2でベースとドラムが重なり、そしてHookでGreen Day節が炸裂!お家芸のキャッチーなコードとメロディーで、曲が耳にスッと入って来ます。この編曲のおかげで、歌詞はなかなか重苦しい内容ながら、最後まで聴ける曲になっているんでしょうね。(この歌詞で沈痛なコードやバラードだったら、ちょっと精神的にツラかったかも…)

 

最後に蛇足。個人的に、この曲で「Billie Joe氏は、やさしい歌詞を紡ぐようになったなあ」と感じました。DookieやInsomniacの頃からは考えられないくらいに。